加藤けんいち日記

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曽我山の風外窟

  6日、曽我山の中腹にある風外窟を訪ねました。

 

  風外窟の「風外」とは、曹洞宗における代表的な禅画僧である「風外慧薫」(ふうがいえくん、1568〜1645頃)」。現在の群馬県安中市に生まれたとされ、幼くして出家、修行や諸国遍歴の後、小田原の成願寺住職を経て、曽我山の岩窟に10年ほど棲み、俗塵を嫌って隠遁修行を続けた孤高の禅僧と言われています。その生涯を通じ、数多くの禅画や墨蹟を遺しており、それらは江戸期の禅画の先駆けでもあって、今なお高く評価されているものです。

 

  今年は、風外慧薫生誕450年ということで、生誕地の安中市、岩窟に穴居し禅画を残した小田原市、真鶴町などにて、風外展が予定されており、風外の研究を続けてこられた各地の皆さんと協力して準備が進めておられます。

 

  先日、小田原で長年にわたり風外の研究を重ね、風外が籠もったとされる岩窟とその周辺の保全活動などに取り組んできた、田島の野地芳男さんと、禅画や墨蹟に精通されている久野・東泉院の岸達志さん、西さがみ文化フォーラムの小泉政治さんが来室、小田原での風外展に向けた要望を頂き、あわせて風外窟の現状などについて、お話を聴かせて頂きました。田島の集落に程近い場所に横穴古墳があるのは知っていましたが、さらに奥の谷筋に風外窟があることは知らなかったため、秋に向けた準備の必要性の確認の意味も含め、現地を訪ねてみることとしました。

 

 前日から活発な前線の影響で小田原にも大雨警報が発令されるなど、天候や河川の様子が懸念されましたが、午前中には小康状態となり雨もぱらつく程度に。田島から小竹へと抜ける広域農道から分かれ、国府津方面へ向かう細い道を進み下って行くと、田島から上ってくる谷筋の上流部の斜面に、風外窟はありました。間口は大きいものでも2m弱、岩窟の奥行きや高さは広いもので3〜4mといったところでしょうか、大小さまざまな大きさの岩窟が10あまり在り、野地さんら地元の皆さんが手作りされた説明看板などが立てられています。風外がここで穴居した頃の周囲の環境を想像すると、深閑とした森に囲まれ、眼前に山の清水が流れる、静寂な空間であったろうと思われます。また、谷を下れば田島あたりの里であり、村の人たちとの交わりの中、描いた禅画や墨蹟は米などと交換されていたと言われています。少し離れた、上曽我の三嶋神社の横にも岩窟があり、ここでも風外は穴居していたそうです。

 

  郷土に伝わる「風外慧薫」。風外窟を実際に訪ねてみて、どのような禅僧であり、またどのような生涯であったのか、少なからぬ興味を抱きます。この秋、おそらく10月20日(土)から11月25日(日)にかけて、松永記念館にて開かれる風外展が、今から楽しみです。

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