加藤けんいち日記

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浪江町 馬場町長の葬儀へ

  2日、福島県浪江町の馬場有(たもつ)町長のお通夜へ、弔問に伺いました。

 

  町長の訃報が届いたのは、6月27日。小田原市から浪江町に派遣している市職員・榎本さんからの一報でした。6月上旬、小田原名産の下中タマネギをお贈りしたことに対するお礼状が届き、併せて馬場町長は入退院を繰り返す中、辞意を表明されていると訊いていたので、副町長の宮口さんにお電話し、ご様子を伺ったばかり。以前患った胃がんがその後悪化したようで、腸閉そくなどを併発し入院加療しているものの、病床から町政への指示を出されていると訊き、辛い状況ながらも頑張っておられる姿を思い浮かべていたところです。ご本人は病状悪化で6月町議会に出席することができなかったなど、町長としての重責を果たせなくなったため6月末

日をもって町長を辞職する旨を表明、議会も同意していたのですが、辞任の日を前にご逝去となってしまいました。

 

  東日本大震災発生後、国からの放射能汚染の情報が得られない中、全町避難を指揮。当初は福島市、その後二本松市に仮庁舎を設け、全国に散り散りになってしまった町民の皆さんの心を繋ぐべくたいへんな努力を重ねながら、町域の多くが帰還困難または避難区域となっていた浪江町の復興に向け、文字通り全身全霊で町長の職責を果たされようとしておられました。全国報徳研究市町村協議会の仲間であり、特に福島第一原発の至近立地である、浪江町・大熊町・飯舘村には、ほぼ毎年お訪ねし、町長・村長の皆さんから復興への状況を伺ってきました。そうした中、馬場町長も度々お訪ねし、苦渋の思いと、原発事故へのやり場のない怒りを直接伺ってきただけに、昨年3月に町役場が浪江町に戻り、これからいよいよ復興への本番を迎える中での町長の強い意欲と、それ故のご苦労を察していたところでした。小田原市からの派遣職員も、第1期の大島さんが2年、そして現在の榎本さんが3年目。全くの微力ながら、町長をはじめとする浪江の皆さんを少しでもお手伝いできたらと、取り組んできたところです。

 

  葬儀の会場となったのは、南相馬市の葬儀会場。ご遺族、宮口副町長をはじめとする町政幹部の皆さんにご挨拶を申し上げ、棺の中におられた馬場町長に、たいへんなご労苦へのねぎらいの言葉を掛けさせていただきました。町の復興へはまだまだ道半ば、さぞご無念であったろうと思いますが、同時に、町長としてやれることは全てやってきた、あとは頼む、といったご心中だったのではないでしょうか。菩提寺のご住職は読経に先立つ挨拶の中で、馬場町長のご苦労の様子を「まさに尽瘁」と表現されました。町長とお目にかかったときの話題はどうしても厳しいお話が多かったため、あまり笑顔を拝見することは少なかった気がしますが、優しく微笑む遺影に、改めて、心からのご冥福をお祈りいたしました。

 

  葬祭場に向かう道中、常磐道の富岡双葉ICから国道6号に降り、大熊町〜浪江町〜南相馬市の国道沿いや沿岸部、農村地帯の様子などを見て回りました。発災からすでに8年目。津波被害で集落が壊滅した沿岸部では、高さ10mはあろうかという防潮堤の建設が進んでいます。浪江町では、昨年3月から役場機能が戻ったため、少しずつですが当時のままであった廃屋などが整理され、人の気配が戻り、商店も開き始めました。南相馬市の小高地区は、道路整備や住宅の再建などが目に見えて進んでおり、再開した高校の生徒たちが駅周辺にたむろするなど、賑わいへと近づきつつあるようです。今なお帰還困難区域が拡がる大熊町は、田畑と原野の区別ができないくらいに、灌木や葦などが生い茂り、点在する家屋などがその中に埋もれているように見えます。お通夜に来られていた大熊町の渡辺町長からは、来年春には大熊町も役場が戻ることを伺いました。まだ気の遠くなる長い道のりですが、馬場町長の思いも胸に、私たちができる支援を続けていきたいと思います。

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