いよいよ
 昨夜から、雨だ。明日から始まる市長選挙に向け、ヒートアップしている小田原を冷ますかのような、涼しい雨。私も、今日一日は営業活動を控え、自らの心身を整え、身の周りの様々な調整をして、明日以降の一週間に万全を期すつもりだ。

 市長選挙に向けての、小田原の中で巻き起こってきた様々な動きは、それだけで非常に意義深い、かつてないものだったと思う。
 候補者3人が揃っての公開演説会は、小さなものも含めれば、9回あったと記憶している。これだけでも、かつてないこと。開かれた小田原を創る、その基礎作業としての開かれた演説会。私にとっても、三者三様の候補者のプレゼンに対する市民の皆さんの反応を直接感じることのできる、貴重な機会であり、良い意味で堪能させてもらった。8日に行われた、市民会館での演説会は、1000人もの市民が訪れ、熱心に候補者の話に耳を傾けてくださった。主催者であるJCの皆さんも、若い世代らしい情熱と、見事な公正さで、運営してくださった。
 それ以上に、市民や事業者の皆さんの、「もう、小田原は変らねば!」との強い願いに、4年前とは大きく異なる状況の変化を感じている。それは、あたかも夜が明けるごとく、また季節が巡るごときもので、もはや誰も押し止めることはできない、小田原の中に生まれた確かな潮流だ。それは市民の死活問題と直結している。旧来の、特定の人たちがあらゆる情報と権限を掌握して住民を治めるという発想や手法は、もはや過去のもの。市民や事業者の中にこそ、厳しい地方都市の現実を乗り越えてゆく力がある。それを活かしきる仕組みを作ることだけが、唯一の道であると確信している。

 公職選挙法に抵触するような他陣営の動きには目を覆うものがあり、なりふり構わぬ誹謗中傷が語られている事実も連日報告が入るが、こちらはあくまで選挙のルールに則り、誰も批判することなく、小田原の未来への道筋と、市民の皆さんの参加だけを訴えてきた。そのスタンスには何のブレもない。至誠あるのみだ。それにしても、街頭での候補者名連呼など、選挙法違反の行為が最後まで野放し状態でまかり通ってしまった。小田原市の選管もそれなりに努力をしてきたようだが、結果的に改善が図られなかったことは、大きな問題。選管の取り組みは十分であったのか、検証されなくてはいけない。また、選管からの再三の勧告にも係わらず活動を続けているのだとしたら、当該陣営のモラルは厳しく指弾されるべきである。

 いずれにせよ、小田原の明暗を分けることになる選挙。明日からの一週間、とにかく、一人でも多くの市民が意識を持ってもらえるよう、市域の隅々にまで、足を運び、肉声を届けて行くつもりだ。今のところ、市内各地で満遍なく、全部で300箇所近くでの街頭演説を予定している。気力と体力の限界まで。

 
| - | 06:20 | - | trackbacks(0) |
疲れない不思議
 連日、朝から晩まで全力疾走の日々が続いている。といっても、むろん実際に走っているわけではなく、力の限り出会い、伝え、分かち合う作業の連続、ということ。自分のエネルギーの収支という意味では、もっぱら放出し続けており、吸収が追いついていない感じだ。
 でも、不思議な感覚に襲われることがある。1時間、2時間と、ぶっ続けで演説をしたりすると、ヘトヘトになりそうなものだが、100人・200人もの聴き手が熱心に応じて下さるような集会では、意外に疲れを感じない。むしろ、アタマは冴え、終わった後も疲労感がない。おそらく、聴いてくださっている大勢のみなさんのエネルギーが、私に還流しているのだと思っている。演説の時はものすごくエネルギーを放出しているのだが、それ以上のエネルギーを、同時に頂いているのだ。
 前回の市長選のときも、最終日の最後の演説など、一週間の疲れが極限に達して朦朧とするかと思えば、全く違った。小田原駅東口に集まった大勢の市民の皆さんを前に、私は全く疲れていなかった。アタマは冴え、視界はクリヤー、何か自分の中を風が吹き抜けているような、澄んだ気持ちに満たされたことを、今でもよく覚えている。
 むしろ疲れてしまうのは、車の往来の激しい路面や、人影のない住宅街の一角などでマイクを握るとき。言葉が宙に浮いてしまい、繋がらなくなるのと、やはり頂くものがないことで、たとえ10分でも疲れてしまうことがある。つくづく、相手があってこそなのだと感じている。

 とはいえ、最高で84キロに達した体重が、現在は78キロまで絞られている。エネルギーの収支は、体重にまで影響するのだろうか。好きなビールの消費量が減っていることも原因だと思うが・・・。
| - | 06:54 | - | trackbacks(0) |
新緑の季節
 街なかの木々が、一気に新緑へと装いを変えていく。鮮やかな、いのちの歓びが溢れ出しているかのように萌える、木々や野山の緑。新緑が里から山の稜線に向けて駆け上ってゆく今は、私が一番好きな季節でもある。
 不思議なもので、緑が萌えだしている木々の姿を間近に感じているだけで、新しいエネルギーを充填できる。忙しく動いているときでも、そのような時間を少し取るだけで、元気を取り戻すことが出来る。
 街頭演説が終わると、だいたいはエネルギーを吐き出した後なので、気が抜けたようになるのだが、そういう時も、夕暮れ前の涼しい風の中で、付近の緑とのコミュニケーションをすることで、回復できる。朝の駅立ちの後、天気がよければ、少し遠回りして、眺めのよい道を走りながら、山の緑の息吹に触れるようにしている。

 今朝も、少しの時間だったが、まばゆい青空と、心地よい風に、思わず娘と共に散歩に出た。裏山の、関東学院キャンパス界隈は、絶好の散歩コース。私にとっては、少年時代の虫取りコースでもある。カラダの中の、気の入れ替え。

 今日は、小田原ジュニア弦楽団のコンサートを、娘と聴きに行った。小田原の芸術文化活動の中でも非常に大切な、子どもたちを育てる活動。これまでもその存在は勿論存じ上げていたが、今回縁あってご案内を事前に頂いていたので、時間を確保してその活動の集大成である春のコンサートを、見学させていただいたのだった。
 以前、ドイツのハイデルベルクを訪問したとき、ちょうどその日に行われていた、市立の音楽学校の成果発表会の会場を訪ねる機会に恵まれた。ドイツには、羨ましいことに、市が自前で音楽学校を持っている自治体が少なくない。その学校も、教師たちは市の職員であり、しかるべき資格と技量を持っている。子どもたちは、放課後や週末の時間を使って、そこに通っている。教師たちも、子どもたちも、そして保護者たちも、非常に熱心にその場に係わっている姿を見て、羨ましく思うと共に、とても感激した記憶がある。小田原にもそのような場所があったらなあ、と思ったものだ。
 今日のステージを拝見し、なんだ、小田原にもこれだけの活動がしっかりと根付いていたのだと、自分の不勉強を恥じると共に、このような取り組みをこそしっかりと支援し、小田原が誇る子どもたちの芸術文化の登竜門として、応援してゆかねばと強く感じた。
 白井先生の、子どもたちと丁寧に接しておられるお姿が、とても印象に残った。一人前の人格を持つ人として扱われ、温かく指導を受けてゆく中で、子どもたちは大切なものを身につけてゆくことだろう。

 
| - | 20:17 | - | trackbacks(0) |
マニフェストの集い
 昨日、「マニフェストの集い」を開かせていただいた。世に言うところの決起集会であるが、「決起」という言葉は、しっくり来ない。市民の心や意識のレベルで、何かが大きく変る。それが、無理なく、生き方や暮らしの姿に現れる。大げさだが、「市民の進化」と言ってもいいかも知れない。そのことを確認するための集い。思いを共有する集い。多くの仲間が居ると知ることで、勇気を持って一歩を踏み出す集い。希望が共有される集い。そんな願いを込めた。
 これまでずっと、一切の利害関係にくみさず、大きなスポンサーも組織の後ろ盾も作らず、市民一人一人の自発性を持ち寄り、出来ることを出来る人がやり、市民にとにかく正しい情報と未来へのビジョンを伝え続けてきた、4年間。その成果が、昨日の集いそのものだった。応援のメッセージも、スタッフの笑顔も、舞台の花も、会場をビッシリ埋めてくれた参加者の真剣な眼差しも。熱意と真心が、小ホールを満たしていた。
 マニフェストは、何が出来るかではなく、何をすべきかについて、筆を躊躇することなくまとめ上げた。多くの皆さんの意見や、現場で伝えていただいた深刻な問題意識が、その中にこめられている。昨日配ったのは要約版。必要な政策とその趣旨を書き進めていったら、文の量が膨大になってしまったので、やむなく半分程度のボリュームに削除・圧縮。短くすると、どうしても抽象的になり、陳腐な表現になってしまうのだが、その中にこめられている具体的な部分を、これからは色々な形で補足していかねばならない。私に与えられた40分の発表時間の間、参加者の皆さんは手元の資料に目を落とすことなく、私の話に熱心に耳を傾けてくださった。そして、大きな拍手を持って、マニフェストを支持していただいた。

 さあ、本番まであと1ヶ月を切った。前回とは比べものにならないくらい、多くの、そして熱いエネルギーが、私たちの動きを形成し、そして支えている。それをつないでいるのは、自分の利害ではなく、小田原への思いだ。心をひとつにすることが、新しい小田原への何より大切な出発点。市民一人一人の心に、小田原の未来がかかっている。
| - | 10:53 | - | trackbacks(0) |
4月に入り
 今年の桜は、本当に見事だった。雨と、その後の陽気によって、全てのつぼみが一気に開いたような、まさに満開の桜。花火大会のフィナーレに満天の空を彩る大花火の競演を見るようだ。とはいえ、桜の木の下でゆっくりと桜を愛でる時間もとれず、車でお堀端を行過ぎるだけだったが。
 4月12日の「マニフェストの集い」に向け、これまで頂いた政策提言などの取りまとめが最終段階に入っている。私がこれまでに様々な現場で見聞きしてきた成果が、次から次へと溢れてきてしまうので、書き込んでいくとどうしても長文になってしまう、マニフェスト。いったん全て吐き出して、最後に煮詰めたものにまとめ上げたいと思っている。
 5月へのラストスパート前に済ませておきたかった、身内回りやご先祖への挨拶、様々な先達へのご挨拶は3月中で全て済んだ。スタッフの見通しも、新事務所オープンの段取りもついた。4月12日を境に、選挙はいよいよ最終局面に入っていくことになる。
 事務所には、連日様々な方が訪れてくれている。また、私の知らないところで、多くの方が「今回はやります!」と、我が事として熱心に動いてくれている。皆、「加藤のために」ではなく、「小田原の未来のために」動いている。心強い。
 
 来週は、小中学校も入学式であり、新学期が始まる。わが息子も晴れて中学生となり、本当ならしっかりとお祝いをしてあげたいのだが、マニフェスト取りまとめとミニ集会の連続で、それは叶いそうもない。小さく生まれたが、親の心配をはるかに超えて健康に育ってくれた。小学校の運動会の徒競走順位は、いつも後ろから数えた方が早く、運動系は苦手なものとばかり思っていたが、陸上部に入りたいというので、ビックリしている。
 高校2年になる娘も、将来のことを考えると大事な時期にさしかかっている。生きてゆく糧を何に求めてゆくか、一緒にいろいろと考えてあげたいところだが、なかなか向き合う時間が取れず、親としては不甲斐ない。
 毎朝の出勤時間には必ず玄関まで見送りに来て「お父さん頑張って」と言ってくれる子どもたちに、自分の生き方をもって、報いたいと思う。
| - | 06:16 | - | trackbacks(0) |
松陰先生
 日記の更新に手がつかない日々が続いた。朝の駅立ち、午後の辻立ち、毎日複数箇所での会合やミニ集会、原稿の執筆、諸行事への参加・・・。充実しているといえば、この上なく充実した毎日であり、毎日心で響き会うたくさんの出会いに、励まされている。各地域で応援してくれる方々のグループが幾つも立ち上がり、自主的な活動に勢いがついている。ご不自由な体をおして事務所にわざわざ思いを届けに来られる方がいる。新しい小田原を願う切実な思いを懇々と語ってくれるお年寄りがいる。みな、一切の利害関係などなく、心で動いてくださっている。
 マニフェストの仕上げも、そろそろ佳境に入る。この月末月初が勝負だ。これまで寄せられたたくさんの市民の声を、しっかりと踏まえてゆかねばならない。5月以降の実行を見通しながら、実現可能な道筋を見出しながらの作業。

 日記にて報告したいことは山のように溜まっているが、16・17で時間をこじ開けて訪ねた、萩と長門のことを書こう。

 私が現在のような志を立てた原点は、小学校6年生の時に見た、NHK大河ドラマ「花神」での吉田松陰像にある。篠田三郎演じる松陰の生き様に、なぜか強烈な印象を覚えた。以来、松陰の著作や関連資料などを読み起こしながら、維新の群像への共感を育ててきた。
 今回、5月の前にどうしても、その原点に立っておきたく、萩の松下村塾と、松陰神社、そして松陰の墓所を訪ねた。16日は日曜日、塾のある松陰神社境内は観光客で賑わい、じっくりと向き合うことができなかったが、塾の小さな建物からは、ついさっきまで塾生たちが松陰を囲んで語り合っているかのような、生々しさを感じた。引き戸の向こうから、塾生や松陰がひょいと顔を出しそうな感じすらした。
 日中の喧騒を避け、朝夜明けと共に、再び神社へ。松陰神社の朝は早く、6時の夜明けには、既に神職の方が境内の塾や杉家の建物の雨戸を開けていた。誰も居ない夜明けの境内にて、しっかりと手を合わせ、来訪の趣旨を唱えさせて頂いた。
 松陰神社の裏手の山腹に、松陰の生家の跡と、墓所がある。生家跡からは、萩の街並みとその向こうに連なる日本海の海岸線が良く見える。松陰の墓所には、久坂玄端や高杉晋作などの塾生や、松陰を育てた杉家の方々などの墓が立ち並んでいる。松陰の墓石の隣は、松陰の甥になる吉田庫三。この方は、小田原高校の前身である小田中の初代校長であり、話には聞いていたが、これほど松陰と近い方だとは思わなかった。私たちが小田高時代にいつも目にしていた校是「堅忍不抜」「至誠不息」は、まさに松陰の教えであったということだ。また、松陰の薫陶を受けた山県有朋や伊藤博文らも小田原とは縁が深く、松陰の息吹は小田原に確かにあったと考えると、実に感慨深い。
 萩での滞在中、宿屋の主人以外に言葉を交わすことはなかったが、随分たくさんの人と出会った気がする。その多くが20代で散った、松下村塾の志士たち。

 萩を訪れるなら、ぜひ足を伸ばそうと訪ねたのは、西隣の長門市。ここの仙崎地区は、詩人金子みすずの生誕地であり26歳で命を絶った生涯の大半を過ごした場所として、現在、みすずによる町おこしが取り組まれている地域だ。白秋に代表される素晴らしい文学遺産を持つ小田原の今後の参考になればと、金子みすず記念館の主任企画員・草場さんを訪ね、街を案内していただいた。
 ゆったりと時間の流れる、静かな入り江に囲まれた、仙崎。街のいたるところに、みすずの詩が掲げられ、詩に読まれた場所には詩碑が立っている。みすずの代表作「大漁」のまなざしを作ったといわれる、鯨の墓も見せていただいた。
 草場さんから、「みすずの町おこしといって、饅頭や煎餅を作ってしまっては、道を誤る。大切なのは、『心おこし』なんです。」との言葉を頂いた。みすずの詩が示した、いのちへの眼差し、複眼的に眺めるやさしさ。それを、しっかりと伝えたいと願う、仙崎の皆さんの心を感じた。

 つかの間の、静かな時間。これからの歩みを支えてくれる、ふたつの大きな出会いだった。
| - | 08:02 | - | trackbacks(0) |
地域の力
 今日は、いかにも花粉の飛んでいそうな、春霞のような穏やかな日和。娘がお世話になっている小田原養護学校がある富水小学校区で、地域の育成会が主催し、自治会など地域団体が総出で行う狩川清掃活動に、養護学校の保護者として参加。娘と、6年生の息子を連れ、長靴に軍手の装備で、地域住民の皆さんと一緒にゴミ拾いに汗を流した。
 朝、学校に向かう道すがら、清水新田から学校へとわたる橋から狩川を眺めると、あるある、河川敷にも川の中にも、ゴミがたくさん見えた。私の長靴は比較的丈が長いので、川を渡って中洲に上陸、橋の上から見て気になっていたゴミをことごとく拾った。拾っても拾ってもあるので、どんどん上流に行くことになる。息子から「そろそろ時間だよ」といわれて、まだ拾いきらないことに後ろ髪を引かれつつ、作業終了。他の皆さんが拾い集めた様々なゴミの総量は、相当なものだった。
 第一水源地の上にある緑地公園にて、豚汁を頂きながら、地域の皆さんとしばし懇談。富水地域は、環境に恵まれ、また地域のみなさんの交流もかなりしっかりと行われているとお見受けした。狩川や仙了川という空間、まだ点在している田園、穴部から府川にかけての丘などが、人の心を伸びやかにつないでいるのかもしれない。いずれにしても、毎年こうして行われている共同作業の存在が、地域の力を保つ上で大きな役割を担っているのだろう。

 今日は、39歳でなくなった父の命日でもあり、清掃活動で汚れた恰好のまま、南足柄の善福寺へ、墓参。娘が花を活け、息子が墓石を掃除。

 午後は、市民会館で行われた、「市民活動セミナー」に参加。サポートセンターを日頃利用されている団体の皆さんをはじめ、これから地域で何らかの活動に参加しようと考えておられるシニアの皆さんなどが参加されていた。基調講演をされた東海大学政治経済学部教授の前田氏のお話は、「全ての公的ニーズを行政が全て引き受けることは不可能。市民自身にできることは市民が担ってゆくことが必要」という、いわゆる市民分権や住民自治の必要性を強調されており、全く同感。小田原には、今日のパネリストでもあるボランティアガイド協会などをはじめ、実に多様な市民活動があり、その裾野は広い。市民の皆さんの力が十全に発揮される仕組みづくりは、向こう数年間におけるもっとも重要な政策課題のひとつと思って間違いない。
| - | 19:17 | - | trackbacks(0) |
PTA卒業
 選考に時間を要していた、次年度の芦子小学校PTA本部役員も、数日前にようやく会長が決まり、私もほっと安堵の胸をなでおろした。5日は総会が開かれて次年度の役員体制が承認され、翌日には新旧本部役員の顔合わせと引継ぎが行われた。
 副会長、会長2年、計3年間お世話になり、様々な経験をさせて頂いた芦子小学校PTA活動とも、これで卒業。21日の卒業式が会長としての最後の仕事になるが、感慨深いものがある。息子の卒業の日でもあり、涙腺に要注意だ。
 「全員参加と交流」を掲げての活動は、初めての取り組みにチャレンジすることが多く、有能な本部役員や各委員のみなさん、そして情熱溢れる学校の教職員の皆さんの理解と協働がなくては、やれなかったことばかり。不十分な点も多々あったと思うが、前向きなPTAの風土を、僅かなりとも育てることができたのでは、と楽観的に総括している。

 今日も濃密な1日だったが、午前中に昭和音大の新ホール「テアトロジーリオ」の見学は収穫大だった。新百合ヶ丘から徒歩3分の立地にある同ホールは、音大の建物と一体化しているのだが、総建設費で90億円かかった建物のうち面積では20%程度なので、ホール部分の建設費は20億から30億程度と思われる。1300人収容の、上演者への配慮や空間活用の最新技術に満ちたホール、大小さまざまな楽屋やスタッフルーム、行き届いた十分な数のトイレなど、実を重んじ一切のムダは配した合理的な建築。城下町ホールの63億円は一体何なのだろうと、改めて思う。
 県企業庁から小田原市にあてた2月25日付けの文書では、小田原市民から訴訟も含め様々な異議が出されていること、5月に市長選挙を控えていることなどから、慎重に経過を見守りたいとの趣旨が明確に書かれている。選挙で示される民意が、ホール計画の行方を決めることになったのだ。この状況下でのベストのプランを生み出すために、益々市民の総力の結集が必要となるだろう。
 
| - | 22:34 | - | trackbacks(0) |
耕筰と白秋
 3月4日、童謡教育センター主催の文学講座が、けやきにて開かれ、私も参加する機会を得た。この日のゲストは、かの山田耕筰の長男で、山田耕嗣さん。白秋研究家の竹村忠孝氏との掛け合いで、山田耕筰自身の生前の様子や、親交のあった白秋とのエピソードなどが、たいへんリアルに語られ、大いに盛り上がった。
 当時、白秋は城山3丁目に在住、耕筰は現在の茅ヶ崎市に在住。耕嗣さんの記憶にも、耕筰宅を訪れては飲み語らう白秋の姿がハッキリと残っており、日本の童謡を生んだ二人の赤裸々なやりとりの機微が、目の前に浮かぶようだった。
 耕筰は麒麟麦酒、白秋は菊正宗と決まっていたそうで、二人とも酔うほどに語り、酔うほどに議論は深まったようだ。思わずのけぞって笑ってしまったのは、酔うと白秋が必ず、耕筰の「禿げ上がった」頭を舐める、というエピソード。何ともいえぬ、二人の間柄が偲ばれる。
 耕筰の歌曲が白秋の詞があってこそ生まれたものであること、また、白秋の詞が耕筰の歌曲によっていのちを吹き込まれたことを考えると、日本の幾多の童謡の誕生は、まさにこの二人の出会いによってしか成しえなかったのだということが、よく判った。その二人の親交と創作の舞台が、他ならぬこの小田原であり、湘南であるということ。つまり、日本の童謡のふるさとが、この小田原であると言っても過言ではないということ。

 竹村氏のツッコミもなかなか絶妙の匙加減で、会場を大いに和ませてくださったが、何と言っても耕嗣氏の、88歳とは思えぬ透明感とやさしさが、会場を訪れた参加者の心を捉えていた。
 また、生涯学習部次長の時田氏より、「市としても、からたちの小径に続き、小田原駅西口から城山の丘を経て文学館に下る道を、白秋の散歩道として整備する予定だ」との構想が語られ、大いに参加者も喜んだ。

 童謡のふるさと・小田原。その街に生まれ育ったことを、市民の誰もが誇りに思う、そんな日が間もなくやってくることだろう。
| - | 18:13 | - | trackbacks(0) |
今市、米沢
 毎日のたくさんの出会いの中で、先週、特に強く印象に残ったことが幾つかある。

 この地域で、「里親」を引き受けておられるご家庭のお話を伺うことが出来た。事情があって家族と一緒に暮らせなくなった子どもを自宅で預られ、養育される。事情は様々で、ごく短期の緊急避難的なものから、将来の養子縁組に至るような長期のものまで。
 お話を伺っていると、そのような境遇に置かれる子どもたちの家庭事情や社会的背景の変化が窺える。懸念されるのは、「親」の未熟さ、あるいは「親」が募らせている不安。里親のもとへ預けられる状況に至っているのは、おそらく氷山の一角で、その一歩手前のところで困難な状況に陥っている子どもたちは少なくないのだろう。地域社会の中での、親世代の孤立や関係の希薄化を改善することが、とても重要だと感じる。子どもがのびのびと安心して育ってゆける家庭は、健やかな地域と共にあるはずだ。

 横浜で、28日・29日の二日間にわたり開かれた、第2回地域SNS全国フォーラムに参加。SNSとは、ソーシャル・ネットワーキング・サービスの略称で、地域の中の様々なコミュニティがネットを利用してコミュニケーションを深め、様々な活動を進めてゆくための、ネット上の交流空間。全国各地で様々なSNSが地域の活性化に大きく貢献し始めており、それらの経験交流が目的のフォーラム。リアルな社会でのコミュニケーションが希薄化していることを補うかのように、SNSのような場で夢や目的を共有できる人たちが出会い、その縁からリアルな関係(まちづくり活動やボランティアグループ)が誕生している。地域の様々な可能性を開くキッカケを創る上で、有効なツールであることは間違いないだろう。

 ある地区での勉強会(というか、私を囲んでのミニ集会)で、大いに勇気付けられた。その地域は、前回の選挙の時には殆ど動いていなかったが、今回は友人や支援者らの動きが複合的に機能し、会場を埋める70人近い住民の皆さんが集まってくださった。その殆どは、私も初めてお目にかかる方々。もちろん、7〜8人のミニ集会ならではの、十分なコミュニケーションで、素晴らしいご縁が結ばれることも多いので、決して人数の多寡で集会の成否が分かれるわけではないが、多くの方が加藤の顔を見に来てくださり、和やかな雰囲気でお帰りになったことは、手放しで嬉しいことだ。

 2日、朝4時半のJR始発に乗り、日帰り強行軍の旅へ。まず、今市に眠る二宮先生の墓所に参詣。朝8時過ぎ、参詣者は誰も居らず、「我が墓を華美にしてはならない。土を盛り、そこに杉か松の一本でも植えておけば宜しい」との遺言どおりに土を盛っただけの質素な墓所にて、しばし祈りを捧げることができた。社務所が開く前の時間だったが、宮司さんにお願いし、飛び込みで神社の社殿にて祈祷を受ける。
 今市から、米沢へ。困窮きわまった米沢藩の建て直しを生涯かけて行った、上杉鷹山の廟所を訪ねた。積雪がまだ1メートル近くある、米沢の市街地の外れに、謙信公よりの代々上杉家藩主の廟がならぶ、杉の木立の中。ほかに誰もいない、雪に埋もれた廟所の前で、しばし瞑目。鷹山が領民の開墾作業を励ますために籍田(せきでん)の礼を行ったといわれる場所や、鷹山公ほか改革に身命を賭した家老らを合祀した松岬神社を参詣。
 日暮れと共に帰りの新幹線に乗ったが、自分にとっては、聖地とも言えるふたつの場所を訪ねることができ、現地のしんと静まった空気とともに、気を充填することが出来たように思う。
 
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