加藤けんいち日記

楽友協会解散ほか

 12 日朝、小田原楽友協会の皆さんが来室されました。同協会は、音楽を愛する市民の皆さんが核となり、 1995 年に発足した「小田原室内合奏団」を前身として、 2005 年に改称。国内外で活躍するトップクラスの演奏家による多彩な音楽会を毎年開催され、小田原の音楽シーンをけん引して来られました。新しいホールの構想が立ち上がってからは、「座付きの市民オーケストラ」を目指し、活動を続けて来られましたが、会員の高齢化や減少などにより会の存続が難しくなったため、この 3 月に残念ながら活動を終了。この日は、活動の残金を「市民ホール整備基金」にご寄付頂くとともに、新しく生まれる市民ホールへの期待を託されました。

 

  来室されたのは、立ち上げ時から中心メンバーだった堀江さん、稲子さん、瀬戸さん、福井さん、石黒さん、鈴木さん、そして指導者としても活躍された白井英治さん。私からは、小田原の音楽を愛する人たちのために素晴らしい音楽会を開き続けて下さったご努力に、改めて感謝と敬意を表し、併せて市民ホールの整備スケジュールがずれ込んでしまい、楽友協会として新たなホールでの演奏会を開いていただけないことへのお詫びをお伝えしました。協会は解散となりますが、会員の皆さんはそれぞれの音楽活動を継続されているので、市民ホールがオープンした暁には、ぜひ何らかの形で皆さんの思いを実現していただきたいと、お願い申し上げました。

 

  午前中、平成 29 年度に実施された市発注の工事における優良工事施行者への感謝状贈呈式が行われました。山一産業蝓塀撒閥曲歛現ね)、 (有) 奥津造園(富士見小学校グラウンド改修および御用米曲輪修景整備)、 (有)林組(市道 0085 舗装修繕)、(有)菊原建設(下水道長寿命化改築)、中泉商事蝓併堝 0068 舗装修繕)、そして大野興業蝓幣田原テニスガーデン北側コート改修)の、 6 社の皆さん。自治体の財政難の中、老朽化が進む各種公共インフラの維持修繕が待ったなしの状況であり、加えて大阪北部地震、西日本豪雨災害など災害によるインフラのリスクが高まるなか、質の高い公共工事の施工、長寿命化を可能とする丁寧な維持修繕は益々重要になります。優良工事への感謝と共に、引き続き技術力の向上や人材の育成、もって安心安全なまちづくりへのご貢献をお願いしました。

 

  夕刻は、小田原アリーナへ。今年で 70 回目という節目を迎えた「小田原市民総合体育大会」の開会式に参加しました。昭和 24 年から始まり、戦後から高度成長期、バブルとその崩壊など、様々な時代背景の中、市最大級のスポーツイベントを継続してきた、市体育協会をはじめ、各地域の体育振興会・体育協会や、各競技協会をはじめとする関係者の皆さんのご尽力を讃えるとともに、ラグビーW杯や東京五輪を目前に控えスポーツ熱が高まる機を捉え、各競技での熱戦を期待する旨、お伝えしました。

 

  また、ここ数年、この開会式を盛り上げてくれているのは、小田原東高校の吹奏楽部の皆さん。この日も 70 〜 80 名の大編成で、入場行進や優勝杯返還などでの演奏で会場の気勢を大いに高めてくれました。毎年演奏を聴いていますが、年々その技量は上達しており、若い力溢れるパフォーマンスに感動を頂いています。

| - | 12:11 | - | trackbacks(0) |
氏政・氏照公墓前祭、パリ祭

  11 日は、朝から東京へ。全国市長会の財政委員会・都市税制調査委員会の合同会議に出席。総務省自治財政局長、同省自治税務局長より、国及び地方自治体の財政を巡る状況認識と今後の動きなどについてレクチャーを受けるとともに、国への重点提言の内容確認などを行いました。社会保障関連費用の激増、各種公共インフラの一斉の老朽化など、地方が直面する困難な財政状況に対し、国などの税財源をどのように配分し、課題解決を進めていくのか。現行の税財源で足りない部分を、どのようにやりくりし、あるいは補充していくのか。待ったなしの議論と打開策が必要です。

 

  午後、北條氏政公・氏照公の墓前祭に参列。北條遺跡顕彰会の皆さんが毎年行っていただいているもので、今年も墓所のある「おしゃれ横丁商店会」の皆さんをはじめ、関係者の皆さんが多数集い、墓前にてご供養をさせて頂きました。今年が小田原開府 500 年、来年が早雲公没後 500 年ということで、北條関係の取り組みが様々に動いていることもあってか、例年よりも集う人たちが多い墓前祭となりました。またここ数年来、氏照公ゆかりの八王子などからも墓参に訪れて頂く方も多くなっています。有難いことです。

 

  夕刻、市民会館大ホールで開かれていた、第 6 回「小田原パリ祭」へ。シャンソンの祭典として、著名な歌手を含む大勢の歌い手の皆さんが集い、華やかなステージが繰り広げられる催し。小田原でシャンソン教室を開かれている鎌田佳代子さんを代表とする「小田原パリ祭実行委員会」の皆さんをはじめ、シャンソンを愛する多くの皆さんのご尽力で開催が重ねられています。

 

  この日は、第 2 幕の冒頭に舞台でご挨拶をさせて頂く機会があり、前田美波里さんの司会に導かれ、壇上にて前田さんと掛け合い、ご挨拶。すらっとした長身に青いドレス、真っ赤なルージュの前田さんは、とても素敵でした。サプライズゲストとして、小田原ふるさと大使の合田雅吏さんもご登壇。来年のパリ祭ではシャンソンを歌いますと宣言され、会場は大いに沸いていました。

日頃、各種総会やシンポジウムなどで大ホールの壇上に立つことはよくありますが、一流の歌い手の皆さんが煌びやかに登場するステージの雰囲気は、いつもと勝手が違い、いささか緊張しました。

| - | 12:10 | - | trackbacks(0) |
県内初の水田型ソーラーシェアリング

  9 日、市内桑原の水田に設置された太陽光発電施設と、その下で育っている稲の様子を視察に行きました。

 

  営農を継続するという条件のもとに、農地の上に太陽光発電施設を設置する「ソーラーシェアリング」は、担い手不足や耕作放棄地対策が課題となっている農業経営の現場において、一定の売電収入を得ながら営農することによる所得向上と、それによる担い手確保や営農継続を可能とする手段として、ここ最近各地で広がりを見せています。小田原では数年前に、福島第一原発からの放射能汚染によって被害を受けた足柄茶の圃場にて、市内第 1 号の営農型太陽光発電がスタート。以来、複数の実績が生まれていますが、水田に設置されるのは今回が初めてであり、これは神奈川県内でも初の取り組みとなります。

 

  田をわたる夏の風が吹く中、桑原の圃場にて、発電設備設置とその後の稲作を手掛けている、合同会社かなごてファームの小山田大和さんに、これまでの経緯や現在の状況などを聴かせてもらいました。田んぼの持ち主が高齢化し数年間水稲の作付けができなかった田んぼの再開について相談があり、ソーラーシェアリングの実現に向け地権者や行政と相談をしてきたこと、周囲の農家の皆さんに心配をかけないよう、農作業面で注意を払っていることなど、様々な苦労話も含めて、大粒の汗を流しながら小山田さんは語ってくれました。

 

  品種はキヌヒカリ。周囲よりも田植えの時期が遅かったこともあって、隣接する田の稲の生育状況と比べ遅い感じがありますが、太陽光パネルによる日陰の影響はあまりなさそうです。目下の悩みは、数年間休んでいた田んぼのためヒエなどの雑草が多く、その除草作業に追われていること。既にこの時期、水田は干し田(ほしだ:水を抜いてヒビを入れ、稲の根に空気を送り込み、その後の生育を一気に進める慣行的農法)が行われていて、草取りの作業は難しくなっています。再び水が入ったら、お盆過ぎの出穂の前には草をできるだけ取りたいところです。

 

  収穫したコメは精白し、地酒に仕込む予定とのこと。市内はもとより県内初の水田型ソーラーシェアリングとして、ぜひとも成功してほしい事業です。なお、 7 月 14 日、お堀端コンベンションホールにて、全国ソーラーシェアリングサミット 2018 が開催予定となっており、この企画も小山田さんが中心になって準備してきました。基調講演にて先進事例である千葉の取り組みが紹介されるほか、「ソーラーシェアリングの作り方&活かし方」「もうかる農業論〜ローカル&グローバルの視点から」などのセッションなどが組まれ、最後の総括セッション「 100 年先の地域・経済・農業・社会を見据えて」には、私もパネリストとして登壇します。同日午前中には、ソーラーシェアリングなどの視察も予定。関心のある方には、ぜひ足を運んでいただき、こうした動きを共に進めて頂きたいと思います。

| - | 12:04 | - | trackbacks(0) |
男性がもてなす !? 昼食会

  先週末各地を襲った豪雨による甚大な被害の全貌が、次第に明らかになってきています。亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げるとともに、今なお救助を待っておられる方、安否が確認できない方のご無事を祈るばかりです。また、辛い避難生活がしばらく続くと思われる皆さんの、今後の暮らしがどうなるのか、たいへん心配です。
 

   5日あたりから列島全体に懸かり続けた梅雨前線の雲は、6日朝にかけて小田原や箱根付近を覆う線状降水帯のような様相を呈していました。その後、関東地方では雨は収束していったものの、雲のかかり方が少し違えば、今回西日本を襲った状況は関東でも十分に起こり得たでしょう。この週末、刻々と報道される、被災された地域の様子を凝視しながら、何か支援できることはないか、小田原での備えはできているのか、考えを巡らせていました。
 

  7日、尊徳記念館で開かれた、桜井地区社会福祉協議会主催の「男性がもてなす !? 昼食会」に参加させて頂きました。
 

  地域に暮らす高齢者を対象にした昼食会で、今回が4回目。調理や配膳を担当するのは、桜井地区の男性陣。皆さん、赤いエプロンを身に着けるので、「赤エプロン隊」と呼ばれています。この日も20名ほどの男性陣が集い、日頃の調理経験のある人も無い人も、材料の刻みから調理、盛り付けや配膳など、それぞれ役割分担しながら担当。男性陣の見守り?として、桜井地区民生委員児童委員協議会の小澤治枝会長をはじめ女性陣が脇を固め、小田原市高齢介護課職員も少々お手伝い。

 

  この日のメインはカレーライス(猟友会の方からいただいた鹿肉入り、お米は桜井産)に唐揚げ、加えて、ナスの漬物、タケノコの煮付、カボチャのサラダ、キャベツとタマネギの炒め物、枝豆など、地元農家である黒望縞燭気鵑覆匹ら頂いた、桜井ならではの新鮮な地物野菜をふんだんに使った手作りの品がずらり。味はどれも素晴らしいものでした!

 

  昼食に先立っては、参加者全員で歌ったり、軽く体を動かしたりといったプログラムも用意されていました。また「いただきます」の前には、赤エプロン隊をはじめスタッフの皆さんが一言ずつ、参加された高齢者にメッセージを述べ、会場は終始和やかで和気あいあい。一体感と、感謝の気持ち溢れる昼食会でした。私も食事を皆さんと一緒に頂きましたが、同じテーブルのご婦人たちは一様に、「今日を楽しみにしていた。どれも本当に美味しい。家ではこんなに手間をかけた食事をとることがないので、とても有難い。」といったことをおっしゃっていました。

 

  地域の人たちが、それぞれできることを少しずつ持ち寄り、真心を込めて支え合い、お互いが元気をもらう。これまで地域コミュニティやケアタウンの取り組みを通じて皆さんが積み重ねてきたコミュニケーションが、ひとつの素晴らしい形に結実していると感じ、私も本当に嬉しく思いました。こうした実践が、他の地域にも広がっていったら、どんなに良いことでしょう。機会を捉えて、他の地域の皆さんへ発表・共有していただきたい取り組みです。

| - | 17:41 | - | trackbacks(0) |
曽我山の風外窟

  6日、曽我山の中腹にある風外窟を訪ねました。

 

  風外窟の「風外」とは、曹洞宗における代表的な禅画僧である「風外慧薫」(ふうがいえくん、1568〜1645頃)」。現在の群馬県安中市に生まれたとされ、幼くして出家、修行や諸国遍歴の後、小田原の成願寺住職を経て、曽我山の岩窟に10年ほど棲み、俗塵を嫌って隠遁修行を続けた孤高の禅僧と言われています。その生涯を通じ、数多くの禅画や墨蹟を遺しており、それらは江戸期の禅画の先駆けでもあって、今なお高く評価されているものです。

 

  今年は、風外慧薫生誕450年ということで、生誕地の安中市、岩窟に穴居し禅画を残した小田原市、真鶴町などにて、風外展が予定されており、風外の研究を続けてこられた各地の皆さんと協力して準備が進めておられます。

 

  先日、小田原で長年にわたり風外の研究を重ね、風外が籠もったとされる岩窟とその周辺の保全活動などに取り組んできた、田島の野地芳男さんと、禅画や墨蹟に精通されている久野・東泉院の岸達志さん、西さがみ文化フォーラムの小泉政治さんが来室、小田原での風外展に向けた要望を頂き、あわせて風外窟の現状などについて、お話を聴かせて頂きました。田島の集落に程近い場所に横穴古墳があるのは知っていましたが、さらに奥の谷筋に風外窟があることは知らなかったため、秋に向けた準備の必要性の確認の意味も含め、現地を訪ねてみることとしました。

 

 前日から活発な前線の影響で小田原にも大雨警報が発令されるなど、天候や河川の様子が懸念されましたが、午前中には小康状態となり雨もぱらつく程度に。田島から小竹へと抜ける広域農道から分かれ、国府津方面へ向かう細い道を進み下って行くと、田島から上ってくる谷筋の上流部の斜面に、風外窟はありました。間口は大きいものでも2m弱、岩窟の奥行きや高さは広いもので3〜4mといったところでしょうか、大小さまざまな大きさの岩窟が10あまり在り、野地さんら地元の皆さんが手作りされた説明看板などが立てられています。風外がここで穴居した頃の周囲の環境を想像すると、深閑とした森に囲まれ、眼前に山の清水が流れる、静寂な空間であったろうと思われます。また、谷を下れば田島あたりの里であり、村の人たちとの交わりの中、描いた禅画や墨蹟は米などと交換されていたと言われています。少し離れた、上曽我の三嶋神社の横にも岩窟があり、ここでも風外は穴居していたそうです。

 

  郷土に伝わる「風外慧薫」。風外窟を実際に訪ねてみて、どのような禅僧であり、またどのような生涯であったのか、少なからぬ興味を抱きます。この秋、おそらく10月20日(土)から11月25日(日)にかけて、松永記念館にて開かれる風外展が、今から楽しみです。

| - | 18:03 | - | trackbacks(0) |
横田七郎作品のご寄贈に感謝状

  2 日夜、浪江からの帰途に北茨城で宿を取り、 3 日の朝 6 時過ぎに出発して帰庁。市役所にて、小田原が誇る彫刻家、故・横田七郎氏の遺した作品をご寄贈いただいた、ご子息である横田八郎さん(元小田原市議会議員)に、感謝状をお渡しし、作品や故人の思い出などを巡り懇談をさせて頂きました。

 

  2000 年に 94 歳で亡くなられた七郎氏は、その生涯にわたる制作活動を通じて、木彫、版画、素描など数多くの作品を遺しました。自ら作った何種類もの鑿(のみ)を巧みに使い、出世作となった「メザシ」をはじめ、様々な生き物、野菜や果物、そして人物などを、精緻な写実を踏まえながらも味わいと温もりのある意匠で彫り出し、木彫の分野での地位を確立されました。アジアの歴訪からのモチーフも多く、仏像など宗教的なテーマもあり、また象形文字をテーマとした作品も多数あります。今回は、七郎氏が制作に打ち込んだアトリエに遺されていた、数多くの彫刻・版画・素描などの作品と、版木類、さらにはオリジナルの彫刻刀などの道具類も合わせ、ほぼすべての遺作を小田原市にご寄贈頂いたものです。

 

  感謝状贈呈式の会場には、そのうち特徴的な 2 つの作品が並べられました。ひとつは、象形文字を彫り出した「日月」。その作品名の通り、「日」と「月」の象形文字を重ねるように、クスノキから彫り出した木彫作品。もうひとつは、「 五つと三つ 」。まだ 5 歳であった八郎さんと、 3 歳だった妹の法子さんが、父親の座布団に二人で仲良く座っている姿が、やはりクスノキの一木から彫り出されています。七郎さんから「動くなよ」と言われ、何時間も座らされた思い出を、八郎さんは懐かし気に語ってくださいました。間近に作品を眺めれば、鑿だけで兄妹の特徴を見事に捉え、写実的でありながら微笑ましい姿に彫り出された技術の高さと、家族への愛情が伝わってきます。

 

  今回、七郎氏の貴重な作品群をお預かりしたことを受け、作品の多くが木であることから、まずはその収蔵環境の管理に万全を期す必要があります。現在、小田原市では芸術作品専用の収蔵施設がほぼ満杯のため、当面は既存の公共施設内の空間を工夫して受け入れを行っている状態。十分注意して、適切な状態で保管していきます。その上で、この貴重な作品群をできるだけ多くの皆さんにご覧いただくべく、企画展なども計画中。早い段階で、松永記念館などで実現ができるよう、準備を進めていきます。

| - | 12:16 | - | trackbacks(0) |
浪江町 馬場町長の葬儀へ

  2日、福島県浪江町の馬場有(たもつ)町長のお通夜へ、弔問に伺いました。

 

  町長の訃報が届いたのは、6月27日。小田原市から浪江町に派遣している市職員・榎本さんからの一報でした。6月上旬、小田原名産の下中タマネギをお贈りしたことに対するお礼状が届き、併せて馬場町長は入退院を繰り返す中、辞意を表明されていると訊いていたので、副町長の宮口さんにお電話し、ご様子を伺ったばかり。以前患った胃がんがその後悪化したようで、腸閉そくなどを併発し入院加療しているものの、病床から町政への指示を出されていると訊き、辛い状況ながらも頑張っておられる姿を思い浮かべていたところです。ご本人は病状悪化で6月町議会に出席することができなかったなど、町長としての重責を果たせなくなったため6月末

日をもって町長を辞職する旨を表明、議会も同意していたのですが、辞任の日を前にご逝去となってしまいました。

 

  東日本大震災発生後、国からの放射能汚染の情報が得られない中、全町避難を指揮。当初は福島市、その後二本松市に仮庁舎を設け、全国に散り散りになってしまった町民の皆さんの心を繋ぐべくたいへんな努力を重ねながら、町域の多くが帰還困難または避難区域となっていた浪江町の復興に向け、文字通り全身全霊で町長の職責を果たされようとしておられました。全国報徳研究市町村協議会の仲間であり、特に福島第一原発の至近立地である、浪江町・大熊町・飯舘村には、ほぼ毎年お訪ねし、町長・村長の皆さんから復興への状況を伺ってきました。そうした中、馬場町長も度々お訪ねし、苦渋の思いと、原発事故へのやり場のない怒りを直接伺ってきただけに、昨年3月に町役場が浪江町に戻り、これからいよいよ復興への本番を迎える中での町長の強い意欲と、それ故のご苦労を察していたところでした。小田原市からの派遣職員も、第1期の大島さんが2年、そして現在の榎本さんが3年目。全くの微力ながら、町長をはじめとする浪江の皆さんを少しでもお手伝いできたらと、取り組んできたところです。

 

  葬儀の会場となったのは、南相馬市の葬儀会場。ご遺族、宮口副町長をはじめとする町政幹部の皆さんにご挨拶を申し上げ、棺の中におられた馬場町長に、たいへんなご労苦へのねぎらいの言葉を掛けさせていただきました。町の復興へはまだまだ道半ば、さぞご無念であったろうと思いますが、同時に、町長としてやれることは全てやってきた、あとは頼む、といったご心中だったのではないでしょうか。菩提寺のご住職は読経に先立つ挨拶の中で、馬場町長のご苦労の様子を「まさに尽瘁」と表現されました。町長とお目にかかったときの話題はどうしても厳しいお話が多かったため、あまり笑顔を拝見することは少なかった気がしますが、優しく微笑む遺影に、改めて、心からのご冥福をお祈りいたしました。

 

  葬祭場に向かう道中、常磐道の富岡双葉ICから国道6号に降り、大熊町〜浪江町〜南相馬市の国道沿いや沿岸部、農村地帯の様子などを見て回りました。発災からすでに8年目。津波被害で集落が壊滅した沿岸部では、高さ10mはあろうかという防潮堤の建設が進んでいます。浪江町では、昨年3月から役場機能が戻ったため、少しずつですが当時のままであった廃屋などが整理され、人の気配が戻り、商店も開き始めました。南相馬市の小高地区は、道路整備や住宅の再建などが目に見えて進んでおり、再開した高校の生徒たちが駅周辺にたむろするなど、賑わいへと近づきつつあるようです。今なお帰還困難区域が拡がる大熊町は、田畑と原野の区別ができないくらいに、灌木や葦などが生い茂り、点在する家屋などがその中に埋もれているように見えます。お通夜に来られていた大熊町の渡辺町長からは、来年春には大熊町も役場が戻ることを伺いました。まだ気の遠くなる長い道のりですが、馬場町長の思いも胸に、私たちができる支援を続けていきたいと思います。

| - | 11:50 | - | trackbacks(0) |
暑かった週末

  梅雨明けの酷暑となった週末、市内での複数の催しに参加しました。

 

  30日午後は、総合型地域スポーツクラブである「城下町スポーツクラブ」の設立10周年記念式典に伺いました。学校での部活動や、特定のスポーツを楽しむクラブや団体での活動という枠を超え、どんな世代の人たちでも、様々なスポーツを楽しむ事が出来るよう、県西地域のスポーツ指導者の資格を有する皆さんが集い、平成20年に発足。代表の野田昭義さん、クラブマネジャーの野田ひろみさんご夫妻を中心に、バドミントン、卓球、ソフトテニス、エアロビクス、そのほか幾つものニュースポーツなども加え、多世代のスポーツ愛好者が集い交流するクラブへと発展してきました。総合型地域スポーツクラブがすっかり定着しているドイツなどに比べれば、日本の地域スポーツはもっと進化すべきであり、「城下町スポーツクラブ」の更なる発展を大いに期待しています。

 

  続いて、ダイナシティの「ギャラリー新九郎」で開かれていた、NPO法人アール・ド・ヴィーヴルの皆さんによる、今年で8回目となる作品展へ。代表の萩原さん、指導にあたってこられた中津川さんなど、熱心な皆さんがささやかに立ち上げられた活動も、早いもので6年。久野に構えたアトリエも3年目に入り、活動に参加する人たちの輪も広がっていますが、今回の作品展ではその活動の充実ぶりが感じられる、とても中身の濃い、かつ賑やかな空間となっていました。お訪ねした時間帯は、萩原さんと中津川さんが、作品を手掛けた障がい者の皆さんにインタビューを行う「ギャラリートーク」の最中で、温かな笑顔が会場に溢れていました。今後もきっと、参加の輪、共感の輪、支援の輪が広がっていくことでしょう。

 

  7月1日は、全国一斉に始まった「社会を明るくする運動」の初日。犯罪や非行のない社会、罪を犯してしまった人の更生を温かく支える社会を目指すこの運動。7月は協調月間であり、この日は保護司会、更生保護女性会、青少年健全育成関係団体、社会福祉協議会、民生委員児童委員協議会など、数多くの団体の皆さんによって、街頭での啓発活動が行われました。暑い中、お疲れ様でした。今後、市内各地でのミニ集会や作文コンテストなど、地道な活動が実施されていきます。

| - | 12:06 | - | trackbacks(0) |
童謡大使を委嘱

  観測史上最速での梅雨明けを経て、 7 月に入りました。先週から太平洋高気圧が張り出し、既に夏のような空模様となっていましたので、早めの梅雨明け宣言は納得です。それにしても、この土日もギラギラとよく照りました。まだ湿度が低いので、日陰に入ればさほど不快ではないのが幸いです。「戻り梅雨」といった言葉もあり、今週後半は少し降るようですが・・・。

 

  先週の 29 日、白秋童謡 100 年を記念しての「小田原童謡大使」委嘱式とミニライブが、生涯学習センターけやきホールにて行われました。当初、月例で行われている本庁舎 2 階ロビーでのミニコンサートの形式を考えていたようですが、できるだけ多くの市民の皆さんにも聴いていただくべく、会場を変更しての開催。会場には、市民の皆さん、職員、報道関係者など、 400 名近い人たちが集まり、童謡大使の歌声を待ちました。

 

  壇上には、ボニージャックスとベイビー・ブーの皆さん。まず私から、ボニージャックスの玉田さんと、ベイビー・ブーのユースケさんに、小田原童謡大使の委嘱状をお渡しし、改めてご就任へのお礼と、白秋童謡 100 年の節目の意義を述べました。

 

  続いて、ミニライブ。この日はボニージャックスの鹿嶌さんがご都合で欠席でしたので、総勢 8 名。まずは、全員での「待ちぼうけ」。コミカルな、しかし少し哀しげな感じが、アップテンポのコーラスのなかで見事に表現されていました。続いて、ベイビー・ブーさんによる「からたちの花」。これまで、様々な歌い手の皆さんによるこの歌を聴いてきましたが、今回は本当に胸の震える思いでした。 5 人の、心を込めた丁寧なコーラスと、緩急のある絶妙なハーモニーは、まさに白秋と耕作がこの歌に込めた思いを伝えてくれたように思います。 3 曲目は、ボニージャックスによる、冬寒の寂寥感が漂う「ちんちん千鳥」、そして 4 曲目は再び全員での「この道」。北海道を旅した際の光景を詠ったと言われていますが、聴きながら、小田原の丘の上から望む、緑あふれる山並みや街、そして青い海と水平線の彼方に流れる白い雲が、ありありと目に浮かびました。プログラムの 4 曲が終わると拍手は鳴りやまず、アンコールには有名な「遥かな友に」。

 

  30 分にも満たない、まさにミニライブでしたが、心に沁み入るハーモニーに、会場に居た誰もが深く感じ入ったことでしょう。彼らの歌を通して、白秋がこれらの童謡に込めた思い、描いた情景の奥にある、子どもたちや人々への優しい眼差しが、理屈抜きで伝
わってくるように感じます。「小田原童謡大使」として、ぜひ多くの人たちに白秋童謡を聴かせて頂きたい。そして、小田原の地から生まれた「やさしさ」を広く伝えて頂きたいと、心から願うものです。

| - | 12:42 | - | trackbacks(0) |
蓄電池&太陽光発電

  25 日午後、梅雨明けしたかのような日差しと暑さの中、芦子小学校へ。この 2 月から稼働が始まっている、蓄電池と太陽光発電の組み合わせによる発電システム、ならびに遠隔制御によるエネルギーマネジメントなどの取り組みについて、設置現場を訪ねるとともに、関係者の皆さんから運用状況などを伺いました。

 

  この取り組みは、昨年 7 月に協定が締結された、「小田原市エネルギーの地域自給の促進に係るモデル事業」に基づき実施されている事業。再生可能エネルギーによるエネルギー地域自給を目指し、まずは市立幼稚園と小中学校での使用電力について、太陽光発電施設による発電とその利用、電力の蓄電池への充電、それらの電力状況を遠隔で制御するエネルギーマネジメントにより、施設群全体としての効果的なエネルギー運用を可能にし、ピークカットなどエネルギーの節約にも繋げていくというもの。加えて、発電した電力を蓄電することにより、広域避難所でもある小学校において、災害などによる停電時にも一定程度の電力供給が可能になるものです。

 

  今回の取り組みでは芦子小学校を含む7小学校に新たに施設が設置されました。施設設置は「ほうとくエネルギー蝓廚行い、「湘南電力蝓廚リースにて施設を管理、電力供給を担当。施設群のエネルギーマネジメントは「エナリス」が行う、というスキーム。電力料金の削減を図りながら、市の施設設置に係る初期費用負担はゼロという取組を進めています。

 

  芦子小学校の現場では、従来からある配電設備(キュービクル)に隣接する形で今回の設備が設置されており、遠隔操作と繋がって放充電がコントロールされています。また切り替えによってここから直接電力を取り出すことも可能。屋上には、 10?の太陽光発電設備が設置されており、芦子小学校の周辺や通学路からもよく見える状態になっています。

 

  ご案内いただいた、湘南電力社長でありほうとくエネルギーの取締役でもある、蠑田原ガス社長の原正樹さんをはじめ、両社の役員である蠍点郤卍垢慮点邱篁里気鵝△よび湘南電力の社員の皆さんから、設備の状況、稼働開始から 3 か月の電力利用や放充電の実績などについて詳しく伺いました。小学校での電力使用のピークが、給食室で用いる食洗器が稼働する午後の時間帯にあることなど、細かな状況が時系列で全て把握できており、今後通年での状況を見ることで、より実際的な節約へのアクションが見い出せることでしょう。また、原さんや古川さんは、こうしたデータを用いたエネルギー教育にも意欲を持っており、小田原の子どもたちに「エネルギー」への意識をもってもらいたいと願っておられます。関係者の皆さんの心意気と、実践への取り組みの進捗を、たいへん心強く感じた視察となりました。

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